『パリに咲くエトワール』をみた(※ネタバレあり)
2026年03月20日22時48分
今日は劇場アニメ『パリに咲くエトワール』をみました。このブログはネタバレを含むので、読む際は注意してください。引用の後にすぐネタバレ感想が続きます。
あらすじは以下の通り。脚本が吉田玲子さんということで期待して観に行きました。
20世紀初頭のパリ。
そこに日本からやってきたふたりの少女が暮らしていた。
一人は、夫を支えるよき妻となる将来を望まれながらも、画家を夢見るフジコ。
もう一人は、武家の家系に生まれ、ナギナタの名手ながらバレエに心惹かれる千鶴。
ある日、トラブルに巻き込まれたフジコを千鶴が偶然助けるが、
それは幼い日に横浜で出会ったことがあるふたりの、運命的な再会だった。千鶴の夢を知ったフジコは、同じアパルトマンに住む青年ルスランの母オルガが、
ロシア出身の元バレリーナであることを知り、レッスンを依頼する。東洋人であることで様々な壁にぶつかりながらも、ふたりは夢に向けて歩き出すが、
ある日フジコの保護者である叔父さんが、失踪してしまう。フジコと千鶴、ふたりはそれぞれの夢を掴むことができるのだろうか ――
夢見るふたりの少女とともに、100年前の華の都へ
まず前提として、人種差別や特に男尊女卑の価値観が色濃い時代背景の中でフジコと千鶴がそれぞれの夢を追ってパリで奮闘していく様にとても心打たれました。主人公はおそらくフジコなのだと思ったのですが、基本的に物語は千鶴がバレエの素質を見出され、様々な困難を乗り越えながらバレエへの道を進む千鶴、そしてそれを応援するフジコという構図で進んでいきます。
私は夢に一歩ずつ進んでいく千鶴と対象的に、フジコが好きだったはずの絵をどんどん描かなくなっていく様に苦しさを覚えました。
パリで色々な絵と出会う中で自分の描きたいものがわからなくなり筆が止まってしまうフジコ。
夢に向かって歩みを進めていく千鶴の眩しさに自身と無意識に比較して応援に回ってしまうフジコ。
フジコは自分の中にもいると感じました。
そういう意味でこの映画はフジコというフィルターを通して千鶴の夢への歩みを見る映画と言えるでしょう。隣でどんどん歩みを進める友人、自分の夢にフタ(実際に描きかけの絵を布で隠すシーンがある)するシーン、全てが私へのアンチテーゼのように見えました。
最終的にフジコは千鶴のバレエを通して、自身が描きたかった絵を取り戻し最後には絵を完成させます。ただその過程はほぼ描かれずエピローグ的に解消されます。
無意識に比較の対象であった千鶴の成功が、最終的にフジコに返って来るというのは私を含む視聴者へのエールのように感じました。一方それは意図的に空白を作っているようにも思えました。
人間の「嫉妬」「挫折」「虚無」をフジコを通して感じた本作。
この物語のメインとしてその成功の過程ではなく、「嫉妬」「挫折」「虚無」のような一見すると価値がないような時間にこそ価値があるということをフジコというフィルターを通して私達に伝えてくれる映画だと言えると思います。